2019-06-11 第198回国会 参議院 農林水産委員会 第15号
毎日新聞の六月九日付けの記事では、いわゆる財務省の財政制度等審議会から、六次産業化のスローガンはイリュージョンだった、その犠牲をA—FIVEが押し付けられているのではないか、こういう指摘も受けたということであります。 私は、この六次産業化というのはイリュージョンではないと思っている者の一人であります。
毎日新聞の六月九日付けの記事では、いわゆる財務省の財政制度等審議会から、六次産業化のスローガンはイリュージョンだった、その犠牲をA—FIVEが押し付けられているのではないか、こういう指摘も受けたということであります。 私は、この六次産業化というのはイリュージョンではないと思っている者の一人であります。
先日、イオンの岡田社長が脱デフレは大いなるイリュージョンだったという発言をされて大変話題を呼びましたけれども、今、イオンだってセブンイレブンだって、商品の値下げをばんばんやっている。消費の現場は大変厳しいというのが今の実情だと思うんですよね。
八七年というのはブラックマンデーが起きた年で、ところが、ブラックマンデーが起きたんだけど、日本の株価はずるずるは下がらずに、それから二年間むしろ反転して上がり続けて、ちょうどその二年間で日本は、世界がどうなろうと日本だけは発展し続けるというイリュージョンにみんながはまってしまって、八九年に日経平均三万九千円をピークにバブル崩壊が起きたということなんですが、個人的な印象ですけれども、何か八七年によく似
アベノミクスとは何なのかがわからなくなるほど、安倍総理はイリュージョンのように矢を繰り出してきました。三本の矢、新三本の矢、一億総活躍、地方創生、輝く女性、どれも名前は立派です。残念ながら、矢のほとんどは放たれないか、放つ力が弱過ぎて的に届いていません。 ただ、見当違いのところに突き刺さった矢が二本だけあります。 一つは、先ほど触れた大規模財政出動です。
そのロバート・ケネディの言葉の中で、理想だけ追いかけていたんでは政策遂行できない、現実だけを追いかけていたんでは政治に涙がない、ロマンがない、必要なことはアイデアリズム・ウイズアウト・イリュージョン、幻想なき理想主義、この言葉が今大変胸にしみているところでございます。 次に、第二問は、民主党の社会保障の考え方についてのお尋ねがございました。
何か非公務員型になると、公務員数が減ったんだ、だから大変行革が進んでいるのだというようなイリュージョン、幻想みたいなものを抱かせる。ところが実態は、この運営費交付金という公金から、要は定数管理の外で、要は人件費から出ている。だから、ここの運営費交付金のところに、これは本当にかなり厳密なカットをしていかないと、結果的には行革という観点からいえば変わらないんだろう。
まさに、民主党が出した案というのは、今まで先輩委員が大増税改革だとかいろいろおっしゃっていましたけれども、私はこの条文を読んだ印象を申し上げれば、民主党が我々の案であると言っていることだけがこの条文に書かれていることじゃなくて、実は、低所得サラリーマンが損するかもしれないというような案にすら行けるような、まさに、民主党の案は、幻想でありイリュージョン、蜃気楼みたいなものだなと。
この点、ドミニカは天国なりとのイリュージョンを抱かしめると同様、弊害ありと思われるから、この辺移住者に対し本省担当官において要領よく御説明相なるよう特にお願いする。 こう書いてあるじゃないですか。どうですか。
新聞を見ていると、とにかく、三面じゃなくて、四面も五面もというぐらいに凶悪犯罪、それからまた、一つの事件を物すごく徹底的に報道するという、だから、ふだんならばそれほどでもないのだけれども、全国一律に報道されることによって百倍も二百倍もの大きさになってしまう、そういう一種のイリュージョンがあるだろうというふうに思っています。
この辺はしたがって、先ほど冒頭で申し上げましたように、この制度の意義、ここをきちっとやはり民間にも地方公共団体にも、まあ国自身もですけれども、認識することが大変必要でありまして、いわゆる財政の健全性の確保に十分留意すべきである、短期のキャッシュのアウトフローが少ないからといってそれでイリュージョンを持ってはいけないと、この点は大変重要であるというふうに認識をしています。
しかし、国民の責務という、これは、いろいろな思想、信条を持ち、いろいろな立場のある方々に、国家の、攻撃を受けるという緊急事態の中で協力をいただくということは、ある意味じゃ非常に、適切な言葉でないかもしれないけれども、バーチャルイリュージョン的な世界も入ってきまして、想像力というものを豊かに使ってもらわないと、そういう事態にどう協力したらいいのか、短絡的な人はすぐ、徴兵制であるとか、何かそういう、危険
しかし、その場合に、アメリカの国民が、日本が第三国から攻撃を受けた場合に、血をもってあがなうほどに日本の安全保障にアメリカがコミットするという前提は、私は正直に申し上げて、イリュージョンではないかと思います。幻想であると申し上げても過言ではないと思うんです。 じゃ、なぜアメリカは日本が必要であるのか。
先ほども御答弁しましたように、自然がそのままにほうっておかれて人為的な力が何も加わらないという状態で続けばすべての生物がそのまま生きていけるというのは、これはイリュージョンであって、やはり人間もそれはいつかは滅びるであろうし、どの生物でも滅びてまたかわったものになるかもしれない。地球自体が命委員御指摘のように大変な危機に当たるのかもしれない。
一つの方法といたしまして、私どもじかにこれを管理するということでなしに、汐留企画株式会社というものを私どもの出資によりましてつくりまして、その会社が今御指摘のようにサーカスあるいはイリュージョンの催し物、現在行っております住宅展示場の催し物、こういうような催し物を誘致いたしましてこれを積極的に活用する、そういう業務を含む会社を先日つくりました。
先般、光華寮の問題が起こりましたときでも、一部の人が最高裁から意見を求められれば政府として意見を述べることがあるというふうな発言をされましたけれども、これは向こうの人たちに対して何か希望的な観測、イリュージョンを与えることになるばかりであって、少しもお互いの理解を増進することにはならないと思う。こういう発言は十分慎んでもらいたい。
中小企業の労働者、パートの主婦、失業者、日本で生まれた韓国人、交通遺児達は、経済大国のイリュージョンとはかけ離れたくらしをしている。日本がその富を投資だけに使う限り、人間としての生活の満足感も安定も将来の繁栄もえられないだろう。それを日本シンドロームとよぶという言葉で終わっております。
最初その政治的な独立というものが即経済の発展あるいは国民の生活の繁栄に結びつくという一つの、言ってみればイリュージョンと申しますか、そういうものを東南アジア諸国の方々は指導者もかつ国民も持っていたわけでございますが、しかし、その政治的な独立後三十年以上たちまして今日に至る過程で、東南アジア諸国の方々は政府の指導者もまた国民も、それは確かにイリュージョンであるということがわかったわけでございます。
限定核戦争はイリュージョンである、幻想である。そのような考え方そのものも拒否すべきである。私が読んだ範囲においてはそのように言っていると思いました。大臣、その点はいかがでございますか。限定核戦争というものは理論的にもあり得ない、起こり得ないというふうにお考えでございますか、いかがでございますか。
したがいまして、説明したからこの面積が動いては困る、あるいは指導違反ではないかというようなリジッドな形で御期待を一般の小売業の方がされると、いたずらなイリュージョンを与えることになります。したがって、現在考えておるものはこういうものであるということについてはできるだけの説明をするようこれまでも指導してまいりましたし、今後も指導していきたいと考えております。
イリュージョンと言われる脱漏ですね、これがたまるからストックがふえるわけです。だからフローの課税が十分公正に行われてないという問題があるわけです。だから、不公平税制で三兆円でも四兆円でも取ろうと思えば取れる。そのほかにもやはり私はストックの課税というようなものを考えるべきで、それでいままでのフローの関係の課税の脱漏というものをある程度補完していくということが必要じゃないかと思うんです。